この記事には合唱に対してかなり批判的に書いている。しかし、私は14年間合唱に触れて来て人生観を変えられ、合唱に人生を捧げると心に決めている程だ。つまり、この批判は私の合唱への愛の裏返しや、もっと広く愛されるべきだという理想があるからこそである。
断言する
日本の合唱演奏会の
少なくとも8割はクソつまらない。
理由を挙げればきりがないが要点をまとめて説明する。
1.クオリティーが低くても満足できてしまう
合唱というのは他の舞台芸術に比べ、手軽に参加・企画できるという大きなメリットがある。逆に言えば、それはクオリティーを上げるのが難しいという大きな欠点にもなる。
大学の合唱サークルやアマチュア合唱団は歌の素人(もっと言えばひどい音痴)でも受け入れている団体が非常に多く、コンクールでなければ選抜オーディションをするといったこともしない。また、ほとんど練習しなくても演奏会に出られる。なぜなら、自分の歌えない箇所は口パクになっても他の練習してきた人に歌を任せれば演奏会は成立するのだから。よって、歌唱技術が低くても合唱に対してモチベーションが低くても演奏会に出れてしまう と言う状況が演奏会のクオリティーを下げる。
また、合唱団は集客が簡単に出来てしまうというのも大きな要因である。(演目にもよるが)ダンスや演劇といった舞台はステージに上がれる数の上限が30人程度とかなり限られる。仮に4人の役者が出る演劇だとすると、1000人の会場を埋めるには役者1人につきチケットを250人分売らなければならない。すると必然的に高いクオリティーとその評判を持っていなければ十分な集客が見込めず、大きなホールで公演を打つことは出来ない。だから集客のためにもクオリティーを上げようと努力するのだ。
しかし、合唱の場合では、仮に100人の団員がいたとすれば1人につきチケットを10枚前後売るだけで1000人が集まってしまう(売る対象は友達・家族・そして他の合唱団員などの身内で占められる) また、100万円の施設費がかかる大きなコンサートホールを借りるとしても、1人につき1万円を出すだけで賄える。(少人数の合唱団だったとしても複数の合唱団での合同演奏会をすれば不可能な話ではない。)
結果、合唱人達は歌のど素人であろうが手軽にステージに乗れるし、出演者数に応じて観客はなんだかんだ集まるし、大きなコンサートホールで演奏が出来る。合唱をあまり知らない身内の人々もアンケートに「言葉には表せられないけど、なんか感動した!」などと書いてくれるし、それだけで自分が偉大な芸術活動に参加しているような満足感を得られる。だからこそ合唱のクオリティーを上げようというモチベーションを保ちずらい。
逆説的に言えばつまらない演奏会も簡単に企画できてしまうのだ。
2.小手先の舞台演出がクソダサい
「ずっと正面を向いて歌うだけだとお客さんが飽きちゃうから」という理由で合唱団がやり始めるのはクソダサい振り付け・小芝居だ。
大抵、そういった振り付け等は曲の表現自体には殆ど関係がない。曲の展開するところで何となく右左正面を向いたり、合唱団全員で手を回してみたりするのだ。そして、致命的なのが合唱人のほとんどが身体表現が超ド下手くそだ。(偏見)だから、クソダサくなるのは当たり前なのだ。しかも、振り付けに意識を取られて歌がおざなりになるパターンも多い。挙げ句の果てには、画用紙で作った小道具やちゃっちい衣装を使って寸劇を挟むといった安直な時間稼ぎや場繋ぎに走る。本当に興ざめである。
「合唱がメインなんだから、たかが余興にそこまで突っ込む必要もないでしょ?」
という意見もあるだろうが、それだったら振り付けや小芝居など入れずに、最初からメインとなる合唱で観客が飽きない内容の曲を選び、質の高い歌を演奏すれば良いのだ。
3.歌の内容が伝わらない
合唱の性質上、複数人で同じフレーズを歌うために歌詞がぼやけて何を歌っているか分からなくなりやすい。そして、ただでさえ歌詞が聞き取りづらいのに、合唱には深い理解が求められる詩が用いられていることが多い。
具体的に、谷川俊太郎の「二十億光年の孤独」で例を挙げる。小学生の頃にこの詩に触れたことのある人は多いだろう。しかし、この詩にある『くしゃみをした』というフレーズを初めて聞いた人には何を意図しているかは分からないだろう。この『くしゃみ』の小学校の参考書等で広められる一般的な解釈や理解があるのとないのとでは、演奏者・観客ともに曲に対しての姿勢がガラリと変わる。
そして、多くの観客は作詩者・作曲者の本当に表現したい部分に全く何も感じずに聞き流してしまう。或いは理解不能な言葉とメロディーを伴ったただのノイズのように感じてしまう場合がある。(一方で、それは仕方のないことだとも思う。普段から詩を読む人はそんなにいないだろうし、音楽を聞く中で一瞬だけ聞こえる言葉を深く読み取って解釈する時間もない。)
よって、最初からその詩の意図を知っている。或いは察することが出来なければ、その合唱は歌(詩を伴った音楽)である必要性を失ってしまうという危険性がある。そもそも、出演者全員がそういった言葉の意味を理解していることは稀有であるし、意味や詩のイメージが合唱団内で明確に共有されてることも少ない。(海外の言語の曲ならなおさら難しい)
結果として、合唱が表現の方向性を失った非常に曖昧でつまらない何となく敷居の高いものというイメージを受けてしまうのだ。
つまらなくない演奏会とは?
合唱はもっとポテンシャルのある表現媒体なのだから、今の演奏会で満足して欲しくない。というのが本音だ。だからこそ、クソつまらなくならない演奏会、つまり、面白い演奏会にするための提案をしようと思う。
1.曲の注目してほしい所を伝える
指揮者(できれば作曲者)が「この曲のこういう所に注目して聞いてくださいね?」と曲の前後に伝えるだけで大分印象は変わるはずだ。曲の意図や詩を受けてどうやって演奏するか、どんな技法がその曲に施されているのか、など注目させる点は様々だ。
また、その時に、演奏する曲がそれぞれどう違うかを相対的に説明してもらえれば、演奏会の中で観客が新たな合唱の楽しさやメディアリテラシーを身につけられる。別の演奏会に行った時は、同じ曲でもより一層楽しめるようになるはずである。
2.媚を売らない
ポップスの編曲を演奏して一般の観客に媚を売るのはお勧めしない。ポップスにはポップスの良さがあり合唱には合唱の良さがあるからだ。
一般的な歌謡曲は主線となるメロディーは基本的に1つしかなく、1人の歌手が歌うことに特化されている。中には非常に早口の歌詞もある。合唱は複数人で歌うために、そういった細かい歌詞や音程の変化はぼやけて聞こえなくなる可能性が高く、複数人で歌詞のリズム感を合わせるのが難しかったりする。よって一般的な合唱曲よりも歌うのが難しくなる場合がある。
加えて、主線以外のパートがUh-とかAh-とか、主線以外の(正直、あってもなくても良い)メロディーを歌わされることが多い。普段ベースを歌っている私としては、非常につまらない思いをさせられることがこれまで多かったし、ピアノ伴奏でもカバーできる程度のものを一生懸命に担って歌おうというモチベーションは起こらない。
また、書店で売っている編曲楽譜の多くが合唱作曲家ではなくピアノやJ-popの専門の作曲家が書いたものであるため、必然的にこれらの合唱の短所が考慮されていない曲は結構多い。ポップスでなくとも、小中学校の時に誰もが歌った馴染みのある合唱曲は必ずあるはずだ。それをしっかりと歌い上げるだけで十分聞きごたえのあるものになる。
3.純粋に楽しさを伝える
合唱だけでなく、音楽全般に共通することだが、音楽の楽しさを伝えられるのがやはり一番だ。振り付けなんてなくとも、体や表情が曲の流れに合わせ、自然に変化するのを見ているだけで十分楽しめる。上に載せた動画はyoutubeの説明欄の所を見るとコンクールでは銅賞ということだったが、演奏会でこれを見るとすれば、私は少なくとも2000円の価値はあると考える(一般的なアマチュアの演奏会の相場は500~1500円程度)
これからこのような楽しい演奏会が開催されることを期待する。
追加記述(8月6日)
「合唱の演奏会はなぜつまらないのか?」を読んでいただきありがとうございます。この記事を書いた経緯をお伝えします。
このブログは1週間に1ページを見られるか、見られないかというものでした。それを何とかして僕の身近な人々(僕が関わってきた合唱団関係者)にだけでも読んで欲しいと思いTwitterに記事を共有しました。「8割はクソつまらない」という過激な言葉を載せたのも、できるだけ多くの方に読んでもらうための極めて幼稚な手段でした。(記事を読んで、ひどく傷ついた方にはお詫び申し上げます)しかし、このフレーズのインパクトが強かったせいか、思いの外、僕の全く意図しない所まで広まってしまったという感じです。
しかし、クソつまらないというのは、たった14年間で見てきた・体験してきた中で出来上がった視野の狭い若造の偏見です。8割という数字も、もちろん科学的な統計調査に基づいたものではありません。
僕に直接会った方はご存知だと思いますが、僕は別に合唱に対して恨みがあるわけではありませんし、気疲れしているわけでもありません。むしろ、積極的に演奏会やコンクールを鑑賞する立場で、合唱演奏会が企画されていること自体が僕にとって、とてもとても喜ばしいことなのです。
しかし、この数年、海外の合唱団との交流や演奏会を見に行く中で、日本の合唱の勢い・技術ともに衰えているというか、元気がないなと感じ始めたのです。今後、日本では人口減少社会が進む中で合唱だけでなく芸術活動全体が縮小していくでしょう。その中で合唱人のほとんど主体となるアマチュアが現状に満足せず、もっと盛り上げて行く意識を持っていかないと、より一層衰えていくのではないか?と若造なりに危機感を持っているのです。
だからといって、つまらない演奏会は開いてはいけないとも思っていません。たとえ、つまらない演奏会だったとしても、演奏者にとって合唱は生きがいや人生の潤いの時間になると思います。僕も初めて舞台に立った時の感動は忘れられませんし、合唱の練習も大好きです。だから合唱人の皆様には、劇的に曲のクオリティーを上げて欲しいというわけではなく、(勿論、上がれば良いのですが)「あの合唱団があの形式でやってるから、私たちの団も同じ感じで良いや〜。」という意識に少しでも疑問を持って、より良い方向に変えて欲しいと思ったのです。
また、記事にはポップス編曲はダメだみたいなことを書きましたが、僕にも大好きなポップスの合唱編曲が沢山ありますし、合唱人に舞台で演技させながらアカペラを歌わせるという鬼畜な演劇公演を開いたこともあります。ただ、安直な考えで選曲や演出をしないで欲しいなと思った訳です。
また、合唱の魅力を発信する記事も書いている所ですし、近頃は自分で合唱演奏会を開く計画を立てています。その記事や演奏会を見てくださって「クソつまんねぇな〜」と思った方々には、事細かく批判して「そめやみつの記事(作品)の8割はクソつまらない」と断言して頂きたいです。(まぁ、それはそれで結構ショックではありますが・・・)