演劇ユニット「チームドリーム」は2022年をもって解散する。この機会なので、チームドリームという名前や活動内容について書いていこうと思う。
チームドリームの由来
「チームドリーム」は、中学のスポーツ大会で出場していたチームにつけられた名前で、それを演劇ユニットとして持って来たものだ。しかし、この名前はプロ野球チームなどで連想されるような華々しい意味ではない。
私がいた中学では毎年、学年ごとにスポーツ大会があり、それは運動会に匹敵する程の盛り上がりがあった。スポーツ大会では、バスケやバレーボールなどの球技をクラス対抗で行い、学年トップのクラスを決めるという趣旨だった。
どのクラスも男子の人数は20人程なので、その中で2〜3グループに別けられる。通常のクラスでは、どのグループも同じくらいの強さになるように人員が分けられた。
一方で、私のいたクラスでは、クラスメイトを1軍(強いグループ)と2軍(弱いグループ)とで分け、1軍で他のクラスを圧倒し、2軍はせめて負けないように頑張るという戦略を取っていた。1軍は運動神経抜群・クラスカースト上位の男子達で固められ、2軍は運動が苦手なだけではなく、オタクやコミュ障のような男子達が集められた。
私は運動神経は良い方だったのだが、中二病真盛りのガリ勉だった為か、クラスでは浮いていた。だから、スポーツ大会がある度に、私は弱小チームのリーダーとして振り分けられた。そして、1軍のイケイケ男子たちから私達弱小チームに勝手につけられた名前が「チームドリーム」だった。
スポーツ大会でのチームドリームの試合は無惨だった。私達はほぼ全ての試合で相手から大量得点され、相手に出来るだけ得点を与えないよう、必死に守ることしかできない。小さな体育館にズラリと並ぶ100人程の男子達から野次が飛ぶ。「チームドリームなのに無茶苦茶弱いやん!」「ドリームなんだから逆転できるやろ!」などとと囃し立てられる。その笑い声が一番大きいのは同じクラスの1軍チームの男子達だ。1軍チームを嵐の曲を歌って応援する女子達からは、気の毒そうな顔で見られ、大会の最後の方では観戦さえされない。非常に悔しい思いをしたのを覚えている。
負け犬達
これらは誰にも言っていなかったことだが、自分の演劇ユニットを「チームドリーム」と呼ぶのは、僕にとっては「ダサい負け犬達」という表明である。そして、なぜ、敢えてそういう名前を演劇ユニットとして持ってきたかというと、自分がそういった負け犬達の話を描きたかったからだと思う。
地球に住む人々の殆どは1軍(1位)にはなれない。たとえ、サッカーの日本代表になれたとしても、ワールドカップで1位になれるのは、何カ国もの強豪チームの中で1チームだけだ。優勝する見込みがほとんど無くても勝手に期待され、期待に応えられないと野次を飛ばされ、そもそも全く興味のない人もいる。サッカーに限らず、私達は、勉強や仕事、恋愛、いいねの数など色々な面で得点稼ぎをしているが、頂点に立てない人々がほとんどだ。
チームドリームの作品の内容は、そういった負け犬達の視点で作ってきた。「キャプテン受験生」「ウタモノグルイ」「ヒステリックチェリーの運命」など、それぞれ、受験に失敗した学生、夢が叶えられず記憶を消していく人々、好きでない人と妥協で付き合う男…そういった負け犬達の葛藤や恥のようなものを描いている。
どの演劇にも劇中歌や合唱があり、主人公達は1軍になる夢を歌うが、それは所詮、現実逃避でしかない。歌が終わると、現実の絶望がより深まり、みんな奈落へと突き落とされる。そして「奈落の底で絶望をどう受け止めるか?」というのが、そめやみつから観客(或いは出演者達)への問いかけだった。これまで、この問いかけには様々な答えを頂いて、その皆様との対話にとても満足している。なので、これからもそのマインドで作り続けて行くつもりだ。しかし、演劇ユニット「チームドリーム」としての活動は終了する。
解散
その理由は明確で、もう既に「チーム」では無くなったからだ。私が大学2年生でチームドリームを結成してから6年、自分を含め、当初の立ち上げメンバーは殆ど社会人となり、公演に関わった出演者も散り散りになった。みんな1軍になる為に汗をかいて生きている。なので、弱小チームは解散する。これからの創作活動は、弱小のそめやみつが主体となって、周りの人と一緒に歌の溢れる絶望の奈落へと突き進んで行こうと思う。
最後に、チームドリームの公演に関わって下さった関係者の皆様、そしてお客様には心より感謝申し上げます。
そめやみつ 2022年12月30日